1985(昭和60年)年8月12日犠牲者520人という日本航空墜落事故から今年で40年となるとニュース、報道番組を聞く度に、その当時は乗員、乗客の人数の犠牲者から恐怖を感じた事を思い出します。この事故で、「上を向いて歩こう」の歌手の 坂本 九さんが、亡くなりました。
1971(昭和46年)7月30日岩手県雫石町上空を全日本空輸株式会社の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が空中衝突し、双方とも墜落し162人全員が死亡したという事故も思い出します。何でいつもお盆休み、お正月に大事故が起こるのかと思いました
作家の向田邦子さんが、1981(昭和56年)8月22日取材旅行中の台湾で台北から花蓮行の遠東航空機墜落事故で51歳で亡くなりましたが、私は一週間前にこの同じ便の飛行機に乗っていたので、この事故を知ったときは驚きました。
また、1945年(昭和20年)8月6日は広島市内に、同年8月9日には長崎市内に原子爆弾が投下され、同年8月15日は終戦の日と8月はお盆と重なり何かと慌ただしく過ぎていきます。
広島市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦の末期の昭和20年8月6日日本時間午前8時15分連合国のアメリカ合衆国が、原子爆弾「リトルボーイ」を実戦で世界で初めて投下された。この時の原子爆弾投下に使われたのが、B-29戦略爆撃機「エノラ・ゲイ」です。
私は、日の丸特攻隊として青年が突撃隊として搭乗した飛行機が「ゼロ戦」ですが、アメリカのスミソニアン博物館で現物を見ましたが、プロペラに日の丸が描かれたモスグリーン色した小型なプロペラ機でした。
お盆の帰省と国民の大移動となる8月です。
この時期に、新千歳空港と東京羽田空港間の飛行機のチケットを入手するのに難儀しています。この新千歳と羽田の路線は、世界で一番飛行機便数が多い、乗客の多いドル箱路線と言われています。
アメリカの発明家のライト兄弟が1903年12月17日に、アメリカ合衆国のノースカロライナ州キティホークで、電力付きの飛行場「ライトフライヤー号」で人類初の電力飛行機に成功してからすると、凄い進歩です。
国産飛行機「ニッポン号」が1939(昭和14年)8月26日初めて7人を乗せて3万人の大歓声に包まれて世界一周の旅に羽田を後に、無事10月20日帰国したと記録があります。
またスピードもプロペラ機からジェット機となり、格段とアップしています。
太平洋戦争は、まだプロペラ機での戦闘と考えると飛行機の性能も格段の進歩です。
東京と青森を日本初の国産旅客機YS-11というプロペラ機を乗ったことがありますが、低空飛行で居眠りできないくらい縦揺れ、横揺れがすごかった事と、さらに青森空港が吹雪で着陸出来ず、三沢空港に着陸したことを思い出します。
ヨーロッパ旅行で金もない時代に、安価なアエロフロートというロシア機に利用した時に、椅子の背あてが布一枚、機内食の肉は固くナイフで切ることが大変で、パンも黒い硬くてまずかった事、スチュワーデスがデブのおばさんであった事、トランジットのためモスクワに立ち寄りましたが、何の説明がないく、モスクワ離陸したら途中でどこの空港がわからないが、着陸して軍人が空席に乗ってきた事にも驚きました。その時からソ連(ロシア)には、太平洋戦争終戦に参戦、日本兵の捕虜の扱い、日ソ漁業交渉、漁船の拿捕から不信感ばかりです。
また、1983(昭和58)9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソビエト連邦の戦闘機により撃墜され269人全員の死亡事故がありましたが、私が樺太(サハリン)に旅行した時、飛行機の残骸、遺体が上がったという海岸を見たことがあります。
北朝鮮から2002(平成14年)10月15日5北朝鮮拉致被害者五人が日本政府のチャーター機で帰国した同年5月に私は北朝鮮に観光旅行に新潟からロシアのウラジオストックから飛行機を乗り継いで平壌に旅行しました。この旅行記は後日に発表したいと考えています。
東京税理士会が「内モンゴルのゴビ砂漠に緑」という支援活動をしている時、たまたま上野支部の旅行部長をしていたので、当番支部の上野、本郷、浅草、小石川から支援活動応援のため行くこととなりましたが、北京からウランバートルに行く飛行機が半日以上も空港で待ちぼうけを受け、細かい説明もなく、何とサービス精神のない国かと思いました。このモンゴルの旅行記も後日に発表したいと考えています。
私でも国内の飛行機は携帯で予約して、携帯でバーコードでチエックインして搭乗するという手続きで利用していますが、簡素化されすごい変化です。
新幹線も携帯で予約して、携帯で改札を通り抜け利用しています。
私が様似駅から上京した時は、青函連絡船に乗り換え36時間を要した事を考えると、大変便利にはなりましたが、反面飛行機利用で日帰りもでき、せちがらい世の中になりました。
 子供の頃、空で爆発音を日常茶飯事に聞いてましたが、当時航空自衛隊の飛行した超音速で飛行する戦闘機が発するソニックブーム(音速の壁を突破する際の衝撃波)が空中で爆発音のように聞こえる現象とのことでしたが、人、馬、牛が驚き社会問題になりました。
コントレール(飛行機雲)という歌もあるが、サラブレッドの名前にもあり、その子たちが今年デビューで活躍しています。
子供の頃は、紙飛行機、ブラモデルの飛行機、竹ひごの飛行機を作ったものです。
飛行機も人生も墜落したら終わりです。

令和7年8月31日
小関勝紀